京つう

日記/くらし/一般  |京都府北部

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Posted by 京つう運営事務局  at 

2010年10月11日

水墨画にも惹かれて

アレヤコレヤ、何かと気の多い私。

活け花教室のグループ展をやったときに
隣の会場で
水墨画展をやっていた。

墨!
黒一色で世界を表現!

黒に華がある!

以前、書道を習おうと思っていたが
2回行っただけでイヤになった。
それは
先生が嫌いなタイプだったからだ。

私の人の選り好みは
大人になっても治らないらしい。

水墨画も
日本のトラディショナル!

今度こそ
嫌いな先生でありませんように、と祈っていた。




  


Posted by kiki  at 16:23Comments(0)

2010年07月31日

いつもと違う友だち

習いごとを通じて知り合った友だちは
貴重な存在だ。

会社の中で知り合った友だちは
どうしても同じカラーの人が多くなる。

習いごとで
同じカラーではない人と接するのは新鮮な感動があったりする。

華道をライフワークにしている人
趣味でいいと思っている人・・・
これだけで、すっごく大きな開きがある。

私は、どちらかと言うと
華道は、まだ趣味の域なので
毎日の暮らしに潤いというか、楽しんでやっているという感覚だ。

でも
華道で身を立てたいと思っている人は
やっぱ、花に対する姿勢が全然違う。

「生き方」と言ってもいいだろう。

ある意味、生き方を決めていると言ってもいい。
そこまで到達できたなら
それはまた、とってもステキなこと。

羨ましくもある。

私は
活け花は、とっても好きだけれど、
まだ、そこまでは行けていない。

生き方を決めた人の、「強い心」を
ときどき参考にしたい、と思ったりしている。










  


Posted by kiki  at 15:41Comments(0)

2010年06月17日

池坊の作品展を見て

華道は、いろんな流派があるけれど
池坊は、もっとも歴史がある。

最初はどこの流派にしようかと思ったが
やっぱ、歴史から学ぶことが多いのではないかと思い、
池坊にしたのだ。

六角堂のすぐそばに
池坊会館があり、毎年ここで盛大な作品展が開かれる。



今年の春も行ってきた。
上手な、というか、足が止まってしまう作品を見ると
ホントに感動する。

私の場合は
たいていが
好きか嫌いかで選ぶのだけれど・・・

ああ、こんな使い方があるのか!
今度は
これをパクッてやろう、とひそかに考える。

でも、パクッても
なかなかうまくいかないのが常。

作品というのは
やっぱ全体構成だから、パクッたのが良くても
全体とバランスがとれていなければドーしようもないのだ。

そんなとき
ああ、まだまだ力が足りない!と痛感する。

先生に言わすと
「それが分かるだけでも成長よ」

自分の想い描いた通りに
お花を活けられることが
目下の、私の目標ね。
  


Posted by kiki  at 17:32Comments(0)

2010年05月05日

知らなかった花との出会い♪

活け花は
もう、私の生活になくてならないものになって来た。

アレコレ工夫しながら活けたものが
先生にほめられると嬉しいし、また、こんな形にしよう!と
イメージどおりに仕上がると、それもまたベリーハッピー♪

さらに
活け花を習っていてイイことは
花の名前を覚えられること!

よく見かける花でも
花の名前を知らないものがいっぱいある。

そんなとき、
ああ、これって、こんな名前の花だったのね〜と、
なんか、その花ととって親しくなったような気がする。

今は
花もいろいろな種類が増え、また輸入品も多く、次から次へと
新しい花が出てくる。

それもまた楽しい。
花の名前を知る、
知らなかった花との出会いがどんどん増える。

活け花のお稽古は
花の、新しい世界を知ることもできるのだ。
  


Posted by kiki  at 17:30Comments(0)

2010年04月23日

もの言わぬウエルカム

活け花を習い出すと
私は、週1回のお稽古がとっても楽しみになってきた。

何をさておいても
活け花のお稽古を優先するようになり、生活の重要な?一部となりつつあったのだ。

一番ビックリしたのは母。
信じられない〜と、目を丸くしている。

お茶と違って、
お花は形がある。
空間を美しくすることができる。
また
誰もが美しいと感じ、たぶん、誰もがひとときの安らぎや幸せを感じる。

私が習った先生は
お花は
「もの言わぬウエルカム」と教えてくれた。

玄関先にお花を活けてあるだけで
訪れて来てくれた人に、その美しい姿で
「ようこそ、いらっしゃいませ」
と、伝えてくれるのだ。

本当にそうだなあ、と思った。

お花を活けてあるだけで
想いが伝わることもあるのだ。

なんて、静かなパワー!













  


Posted by kiki  at 17:33Comments(0)

2010年04月07日

今度は、活け花

花展に誘われ、いくつかの作品を見た時に
活け花を習おう!と決心した。

母は、すごく驚いていた。
そして
「あんなに嫌がっていた活け花だったのに。
何でも
習うタイミングというものがあるのね」

小さいときは
活け花の魅力がわからなかった。

ただ、言われた通りにやる。
行きなさい、行ってみなさい、だった。

でも
今は違う。

あの、花展で見たそれぞれの
活け方の美しさに感動したのだ。

長く池坊をやっている友人は
池坊の「生花」(しょうか)というスタイルにヒトメボレ!したそうだ。

みな、それぞれに
感動の時期やタイミングがあるのだろう。
そしてまた、それと出会う運命もまた。





  


Posted by kiki  at 20:13Comments(0)

2010年03月26日

着物に、好奇心

浴衣がラクラクに着れるようになり、
友達の帯もよく結んであげた。

浴衣の着付けが終わると
次は、普通のウールの着物。

お太鼓結びが終わると、お太鼓をちょっとアレンジした帯の結び方を習ったりして
スキルもちょっとずつだけど、アップしていた。

私は
だんだんに着物に興味をもつようになり、
着付けを覚えると同時に、着物の種類や生地などにも
好奇心をもった。

デパートへ行くと
必ず着物売り場へ寄ってみた。

母もとても着物が好きだったので
日曜は、母と着物ウインドウショッピングをしたものだ。

母の解説を聞きながら
いまどきの着物の柄や着方の流行などを知るのは
とっても楽しかった。





  


Posted by kiki  at 15:47Comments(0)

2010年03月15日

浴衣茶会

夏になると
浴衣茶会があった。



浴衣茶会は、楽しいイベントの一つだった。

朝7時という、まだ暑さがないときに始まり
しかも、シンプルな浴衣で参加!

いつもの、かしこまったお茶会より、砕けた感じがして気楽さもあり
好きな雰囲気だった。

私は
習ったばかりの着付けで
ちょっと変わった帯結びをして出かけて行った。

「この結び方カワイイ!
などと、言ってくれるので、ちょっと得意だったりしたことを覚えている。


  


Posted by kiki  at 16:13Comments(0)

2010年03月07日

浴衣もラクラク

着付け教室に通うようになると、
母とは少し違うやり方に気がついた。

母は、おばあちゃんから習ったというか
小さい時から着慣れているので、これが当たり前、という感じで着せてくれる。

でも、教室に通うと
着物がもっとラクに着れるように指導してくれたのだ。

まずは
浴衣!

浴衣なんかすぐに着られる、と思っていたが
やっぱり、最初からきちんと教えてもらうと、次の動作に納得して進めるのがいい。

浴衣の着方は簡単だったが、帯の結び方が楽しかった。
帯の締め方もいろいろある。
蝶著結びにしたり片方だけのリボン結びにしてみたり・・

私は、そのとき、浴衣の帯は一種類しか持っていなかったけれど
こんな風に、帯のスタイルをいろいろ覚えていくと、
違う柄の帯も欲しくなってくるのだった。


  


Posted by kiki  at 17:49Comments(0)

2010年02月24日

着付け教室へ

お茶を習い始め、少しずつ上達してくるとお茶会にも出るようになった。

私が習っていた先生のところには
立派なお茶室もあり、定期的に茶会を催していた。

当然、茶会には着物!
いつも母に着物を着せてもらっていたが
「そのうち、一人で着れるようにならなくては、ね」と、母。

そうだなあ、一人で着れるようになりたいなあ・・

母に教わるのも良かったのだが、
母は
「今は、もっといろんな帯の締め方もあるだろうし、身内だと甘えるからね」

で、今度は着付けを習うことにした。




  


Posted by kiki  at 14:44Comments(0)

2010年02月17日

赤膚焼き

河井寛次郎の作品を見てからは、
デパートなどで陶器展があるとけっこう足を運ぶようになった。

京都の京焼きや清水焼というのは
やっぱり、日ごろからなじんでいると言うか、接する機会や情報も多い。

なんか、違う感じのものも見たいなあ、と思うようになり、
奈良の赤膚焼きの産地に行ってみた。

赤膚焼きは、土のせいなのか、名前のように仕上がりが赤っぽい感じ。
奈良絵と呼ばれる絵をほどこしてあるものが多かった。

なんだかユニークでかわいいタッチのもの、しかも赤、黄、緑など、明るい色を使っ
たものが多く、
京焼きや清水焼とはまったく違っている。

私は
自分用に、ユニークな形のお釈迦様を描いたコーヒーカップを買った。

これが、自分の意志で選んだはじめての陶器買いになった。

  


Posted by kiki  at 23:17Comments(0)

2010年02月09日

河井寛次郎に惹かれて

お茶を習って、もっとも興味があったのは陶器だった。
先生から教わることの他に、一緒にお茶を習っている人からも陶器の話をよく聞いた。

その中に、とても陶芸に詳しい人がいて、よく聞いたら、陶芸を習っているとのことだった。

いっぺん、河井寛次郎の作品を見てきはったら?と、言われた。

たぶん、小学生ぐらいのときに両親と行った記憶があるが、
どんな作品だったか全然思い出せない。
たぶん、その頃は陶芸には関心がなかったからだろう。

なんでもそうだと思うけれど
こうして、自らすすんで知りたい、見たい、という気持ちがないと
想いも深くならないのだろう。

大人になって河井寛次郎記念館へ行った私は、
なんか、すごく充足感いっぱい!で帰ってきた。

作品に気負いがなく、すましたところがなく、
なんか懐かしいものに触れるような陶器たちだったのだ。
たぶん、
河井寛次郎という人は、偉ぶるところがなかったのではないだろうか。

そして
陶器のほかに、書や木彫や、金属などによる作品も多くあった。
すべてが私には魅力的に思えた。

陶器!とばかり思っていた私だったが、
寛次郎の木彫に、強く惹かれてしまったことを覚えている。
  


Posted by kiki  at 14:21Comments(0)

2010年02月06日

陶器に惹かれて

少しずつだけれど、お茶の茶道にも慣れていった。

お茶のお手前も習ったけれど
お茶碗の見方なども先生から教わった。

特に、私が惹かれたのはお茶碗、陶器ね。
利休好みのお茶碗とか、
信楽、九谷、備前、萩、唐津、有田などといった陶器の種類とかも
少しずつ覚えていった。

知らなかったことを知るのは、ホントに快感。
自分の中に新しい発見や知識が増えるのは、ちょっとした充実感があり
お手前は、なかなか上手にならなかったが、
今日はどんなお茶碗かなあ、と思ったりして
お稽古に行くのはとても楽しかった。

それと、お抹茶も大好きになった♪






  


Posted by kiki  at 13:56Comments(0)

2010年02月02日

茶道からの、発見

茶道を習い始め、最初は面食らっていた私だったが、
だんだんに慣れてくると、お茶に対する関心も深くなっていった。

なんでもそうだけど
新しいものごとに触れてみて、そこから興味が発生してくるって、すごく楽しいこと
だと思う。

お茶の場合は
やっぱり日本古来の伝統が軸にあるから、
そこにつながっているものも日本の伝統につながっている。

茶器
お軸の書や絵
花と花入れ
懐石料理・・・

普通の家庭では触れることができないものでも
お茶席や茶道を通して触れることができる。

このことを、刺激的と思うか思わないか、ということもあるけれど
私の場合は、すべてが興味深く
新しい世界のはじまり?だったと言っていい。
  


Posted by kiki  at 11:28Comments(0)

2010年01月28日

お茶を習う

保母の仕事が少し慣れた頃、今度は裏千家のお茶を習い始めた。
これは母のたっての希望ね。

京都にいるのに、お茶のお手前も知らないなんて・・
活け花がダメならお茶を、と、母は思っていたようだ。

イヤイヤ行っていた小さいころとは違う。
少し大人になると
私も少しは何か、作法のようなものを身につけなければと、思っていた。
それに
茶道に関心もあったので、母と意見が一致した。

茶道は
ルールを覚えるのが本当にタイヘンだった。
茶道具が変わるとお手前のやり方も少しずつ変わってくる。

しかも
私が師と仰いだ先生は、
とてもたくさんの茶道具を持っていて,
そのたびにお手前が違うのでいつも面食らっていた!!
  


Posted by kiki  at 11:55Comments(0)

2010年01月26日

ピアノは、習いごとの原点

卒業間近になると、
私のピアノスキルも、ヘタながらも少しは上がり
「エリーゼのために」が弾けるようになった。

私は、家のオルガンで「エリーゼのために」を弾いた。

あんたがこんな曲を弾けるようになるなんて、信じられない!
母は、目を丸くしていた。

最初はなんにもできなくても、「やればできるのだ!」ということを
身をもって体験したピアノレッスンだった。

2年前、私の指先は右も左も同じ動作しかできなかった。
右と左で違う鍵盤を弾けるようになるなんて・・・

ピアノが弾ける!
楽譜が読める!

私がこれまで習った習いごとのなかで(習いごとと言えるかどうか疑問だが)
ピアノは、
もっとも頑張った習いごとの一つである。
なにかを始めるとき、
いつもこの苦しかったピアノのレッスンのことを思い出すようにしている。

めたたく保育科を卒業した私は、地元の小さな保育園の保母になった。
おかげでオルガンもピアノも、臆することなく弾けていた・・と思う。
  


Posted by kiki  at 10:00Comments(0)

2010年01月25日

先生からOKが!

短大の2年間は、ピアノの練習に明け暮れたと言ってもいい。
でも、2年の中ごろには、
バイエルを終了し、チェルニーの半分あたりまでたどり着いた。

そして、
厳しい先生から、ようやく合格ラインのお墨付きをもらえた!

よく頑張ったわね。
「上手い」とは言えないけれど、なんとか単位がとれるラインに来たと思うわ。

試験のときは上がらないようにね
と、先生はアドバイスをくれた。

嬉しかったなあ・・・
普段、ほめない先生がほめてくれた。
まあ、ほめられる内容ではなかったと思うけれど
私には、最高のプレゼントだった!

まったく弾けなかったピアノが
弾けるようになった!

2年前はゼロだったのだから。
  


Posted by kiki  at 10:00Comments(0)

2010年01月24日

個人レッスン

焦った!!
このままでは保母どころか卒業もできない!

私は、授業が終わると、一目散に学校のピアノ室に飛んで行った。
何時間でもピアノと格闘していた。

このままではヤバイ!ので
私は授業の他に、個人レッスンも受けることにした。

週2回、
学校でも一、二を争う厳しい先生の元、先生の自宅へレッスンを受けに行った。

何度言ったらわかるの?
この指が違うでしょ!

先生の容赦ない指摘に私は、ビリビリ!心臓バクバク!
注意されればされるほど、私はアタマがマッシロ!
レッスンなのに上がる、緊張する。

いつもは、弾けるのに、弾けない・・・
涙を流しながら、弾いていたこともあるなあ・・・

なのに、
先生は容赦しなかった。
悔しかったら、もっと練習することよ!と言われた。

家に帰ると
オルガンで練習もしたが、やはりピアノとは全然違う

学校で練習するより他なく、
夜討ち朝駆け、のように
朝の6時ごろからピアノ室にこもったりしていた。
  


Posted by kiki  at 00:00Comments(0)

2010年01月23日

ピアノを習う

人生の習いごとでもっとも苦難の道だったのは
ピアノだった。

保母になるため
短大に入ったが、ピアノは重要必須科目でかなりのレベルを必要とした。
ピアノどころか、オルガンさえもまともに弾いたことのない私だったが、
私は短大に入ってしまえば何とかなるさ・・・と安易に考えていたのね。

それが苦難の始まりだったわ。

一緒に入学した級友たちのほとんどは高校の時に、ある程度のピアノの基礎を学んでいた。
クラスでは、私だけがまったくのゼロスタート!
部活に明け暮れていた私は
高校卒業まで進路が決まらず、右往左往していたのだ。

もう願書締め切り!と言うギリギリになって、ようやく決めた進路だった。

実際、ピアノの時間は地獄だった!

担任は、
あなた、このままだとピアノの単位は取れないわよ
単位がとれないと保母の資格も取れないし
もっと練習しないと・・・
個人レッスンを受けた方がいいわ・・・

と、なってしまった。
  


Posted by kiki  at 17:27Comments(0)

2010年01月22日

お花を習いに・・・

ソロバンを止め、
今度は活け花を習うことになった。
もちろん、京都は池坊ね。

母は
私を連れて、池坊の偉そうな先生のところへ挨拶に。
なんだかおっかなそうな先生だなあ・・と
子ども心に思ったことを覚えている。

私は
1ヶ月行っただけで嫌になってしまった。
正座をしなくてはならなかったし、また、子どもは私だけだったので
なんだか居心地が悪かったのだ。
キュークツでたまらなかったのだと思う。

それに、先生が何となく好きになれなかった・・と言うより嫌いだったのかもしれない。
子どもの頃って、
どんな場合でも
その先生が嫌いになると、習っていることも嫌いになることが良くあるものね。

お稽古の日になると
いつまでもグズグズしていたので
母は、しまいに怒ってしまった。

行くの?
行かないの?
どっちなの?

もう行きたくない、止めたい・・・と私は小さな声で母にすがっていた。

今にして思えば
あのとき我慢して続けていれば、今頃は池坊の大師匠になっていたかもしれない!

母は、私に女としての一般教養を身につけさせたかったのだ・・・ということが
大人になってからようやく理解できた・・・
  


Posted by kiki  at 10:00Comments(0)